Case File4,TIshida

 出現トピック
子供にAVも暴力映画も見せるべき など
 
 
私はTishidaを↑のトピックでしか知らないが、これだけで十分、こいつの限界は見切ったと考えている。こいつは凡庸である。知的に凡愚であるのはもちろんだが、Tenngutakeのような感性的なズレも少ない。要するに凡庸なのだ。 

さて、有害メディア規制派としての彼の主張の論拠(と自分では思っているようだ)は以下の2点に集約される。 
@心理学は未発達な学問なので、反規制派による規制論の心理学的検証は無効である。 
A規制派が何一つ論証できなくても、慎重を期してメディアの規制をするべきだ。 

では順に検証していこう。 
さあ、どくしゃのみんなもいっしょにかんがえてみようね。 

@心理学は未発達な学問なので、反規制派が心理学的にメディア有害論を否定しても無効である。 

>心理学者が何か言っても、心理学は未だ未発達の学問だ(発展途上といったほうが良いかな? 

>だいたい、心理 
>学者の間で言っている事が違うってのがその証拠だと思うんですよね。 
>(青少年が起こした事件の心理的原因について言っている事比較すれ 
>ばすぐわかりますよ) 

 「なんだこりゃ?」である。 
  ある学問分野が未発達であるから、その分野の学者の言うことは何だろうと信用できないというのだ。 
  人間の心理には未だ多くの謎があるという意味で、たしかに心理学は未発達な学問である。だが、未だ解かれていない多くの謎があるということは、他のすでに解かれた謎の答えを無効にするものではないのである。科学のどんな分野だろうと、問題によって大いに意見が分かれるのは当然のことだ。そんな部分は理論物理学だろうとコンピュータサイエンスだろうと存在する。要するにどんな学問にも、それぞれの発達程度に応じて手に負える問題・負えない問題が存在するのだ。心理学による反論が妥当かどうかは、それぞれについて検証すべき問題であって、分野が未発達だから反論できないなどというのはただの言い訳である。 
 
  第一、少年犯罪についてメディアに登場した「心理学者」の意見を、心理学を信用しない理由とすることに無理がありすぎる。 
  いくら心理学者でも、それぞれの犯罪者の心理など、それもメディアで載ったことだけをヒントに――ひどい時には犯行声明文だけから――聞かれても知るわけがない。生物学者が、ピントのずれた怪しげな謎の怪獣の写真を見せられて意見を求められているようなものである。そんなこと知るか、が最適な答えだろう。もちろん、そう言われて「分からないってさ」と納得し、地道な知見で番組を埋めていては視聴率や発行部数は上がらない。メディアに登場して心理について語る人々には、心理学の学位を持った科学者のほかに精神科医・カウンセラー・教育関係者・福祉関係者などがいるが、彼らの肩書きが正確に書いてあっても大衆はそれを「心理学者」と認知する。そういう職業の人々のなかには、「xxx事件の犯人の心理はどうなんでしょう?」という無茶な質問にも適当ながら回答してくれる人がいて、(もちろん)答えてくれた人々だけがメディアに登場してくるのだ。学問的知見などと呼べたものではない。言うことが違ってくるのは当たり前である。さらに、そういう人々が可能性を提示しているに過ぎない場合でも、視聴者は「心理学の専門家が犯人の心理は〜だと断定した」と解釈するのである。 

 
ところで、心理学者が何か言っても……などと言う「Tishida」とはいったい何者なのだろう? 自分で言っていることを総合すると、どこか田舎で働いている教師ということらしい。ああ教師ですか。でもね、言っちゃ悪いが教師って、心理学に輪を掛けて未発達な教育学を拙く反映する、単なる三下の労働者じゃなかったっけ? 心理学という学問が未発達だから心理学者の言うことは参考にならん、というなら、たかが一教師風情の意見など、それこそ聞く価値さえ無くなるのではないだろうか? 

その生殖じゃなくて聖職についておられる《教師》Tishida先生は、人間の心理について次のようなことをおおせられている。 

>子供って一度言われても 
>自分の実体験の一部とならないと行動に移せないし、深く自分の思考 
>の一部になったものは容易な事では変化させられないですよ。実際、 
>この手の事を教えて直ぐに、妙な事をやらかすおバカが・・・。 

>うちみたいな田舎の例や、諸外国の例からして別にそれほど(規制による)弊害は 
>起きないと判断してマス。 
心理学の何倍未発達なんだ、その溢れる想いと言うか溢れる愚昧は。しかも矛盾してるし。 
 

 

A規制派が何一つ証明できなくても、慎重を期してメディアの規制をするべきだ。 

これを論証するためには、「規制が表現の自由化よりも慎重な政策である」ことが絶対条件である。しかし、これが示されたことは無い 
規制とはどういう政策か。ある基準に従って、メディアに有る情報を流すことが禁止され、それをやったら警察によって阻止され、摘発される。すなわち法規制とは、全国(条例なら都道府県単位になる)の子ども達が触れるメディアを、一律に操作する政策なのである。 
これを慎重な政策というのだろうか。 
私はこの問題を幾度か提示したが、Tishidaはこの件について答えたためしがない。 
唯一、もし規制が弊害をもたらしたら?という問いには、 

>その時は、素直に間違いを認めて元に戻します。 

お前は超新星フラッシュマンか。なんで危険の意味なんて忘れてんねん。 
規制する時だけめちゃめちゃ勇敢になってるよ!男にはワナだと分かっていても行かねばならぬ時があるかも知れんが多分今は違うよ! 
 

主旨でさえこのレベルなのだから、他の部分がどういう惨状を見せるか想像がつくだろう。 

例えば別の参加者が規制派の問題点について言った時は「それは決め付けである」と答えていた。それはいいのだが、ではどうなのかを聞かれても「決め付けの問題点」とやらを延々と書くだけで、つまったら「論議するだけ無駄かもね」と捨てゼリフ。 
そう、この人は、論理的に追い込まれると相手の態度に関する評価がやたら厳しくなるというコワイ先生なのである。 
 

また「『望まない妊娠』を危惧するなら、規制なんかするよりちゃんとした避妊法を教えるべきだ」という問いについてのレスは……。 

>別に学校で何もかも全部教える必要はなく、 
>自分で考え調べる態度が必要だぞ。 
オマエなんで規制派なんだ。 
舌の根乾かせよセンセ。 

ツッコミを入れると、 
>教育ってそういうものですから。一面では 
>子供を信用し、かといって全面的に信用する訳じゃなく時々子供の 
>様子を観察し、時には重点的に指導を行い、任せられる所ではおも 
>いきって任せる。これが教育の本質の一つだと思うなぁ。 
だそうだ。答えになっていない。 
だ・か・ら、なんで「エロ本は見せるな。避妊法は自分で調べろ」なんだ? 逆じゃダメなのか?(逆のほうが絶対良さそうだが……) 

ある人(石田とでもしよう)を体力測定もせずにオリンピックの日本代表に推薦して、なぜその人が適任なのかを問われたら「日本の代表選手が日本人であるのは当然です」と得意満面で言っているようなもんである。なんで石田なのかを聞いているんだ。 
 

このトピックの終わりは↓である。 

> これからも論議を続ける事も可能ですが、お互い平行線の主張を、 
>そして細かい内容を延々と繰り返すのみで、お互い相手を説得する事 
>は無理なんじゃないかなと思います。 
> という訳で、ここでおひらきにしませんか?どうしてもと言うなら 
>別ですがね。また、違った観点からの論議をしても良いかも知れませ 
>んがね。 
 
私は「どうしてもと言う」かわりに、「君が他で話しているトピックにリンクしてくれ。衆愚の花園に使うから」と頼むことにした(笑)。 
もちろんそれは拒否された。 

>だって、私の論理の矛盾点とかを指摘され、反論できなかったって 
>わけじゃないしね。貴方が私をどう思おうが勝手ですが、私の発言に 
>矛盾点とかがあるって言うならきちんと指摘してくださいよ。それも 
>できないでいきなりそんな事を言われてもねぇ(^^;) 

> 自分で「図々しい」と書いているし、貴方の行為は、はっきり言っ 
>て「脅迫」と受け取られても仕方ないのでは?もし仮に載せるのなら 
>(著作権の問題は大丈夫?)貴方のこの行為とか、「誰に向かって言 
>っている」とかの意味不明の発言とかも「公平」にしっかり載せてく 
>ださいね。 

先生、アンタがいつまともに反論返せたよ? 私に対してだけではない。Tishidaが、メディアに対する過去の抗議を擁護した時、その正当性を示せという別の人の反論にも全く回答できていなかった。「抗議する自由がある」とかいう愚劣な発言があったのみである。抗議の質について問われているときに「抗議する自由がある」!この馬鹿さ加減には全く呆れる。 
ちなみに著作権の問題も大丈夫であるが……(引用してるだけだ。書物で考えれば「引用」が日本ではいかに普通の行為であるか分かるはずだ。ちなみに、アメリカでは引用も著作権によって保護されている)。 

で、何を甘ったれているのだろうか? 

掲示板で他人が犯した間違いを、いちいち全て指摘してやる義理はこちらには無い。雑誌編集者ではあるまいし、ネットの掲示板で、他人の間違いの指摘というのは義務でやるものではないのだ。あくまでも、こちらの都合でやるものである。トピックに関係のないことであったり、些末な誤りであったりして間違いを無視することはある。一方『衆愚の花園』は「子供にAVも暴力映画も見せるべき」かどうかを論ずるコーナーではない。指摘する場所が違うのは当たり前のことである。それ以上は明らかに親切心の次元に属する行為であって、義務ではないのだ。もちろん、それをやらなければ他の場所で相手を批判してはならないというルールなどどこにもない。あとで笑い者にされたからと言って、「あのとき言ってくれなかったじゃないか」などと抗議するのは甘えでしかない。 

「公平にお前のやったことも書け」というのも歴史修正主義者並みのアホな理屈である。旧日本軍の戦争犯罪について書いた本があったとして、それに対して「米軍の犯罪も書かないと公平ではない」(実際こういうクレームが愛国者の皆さんから来るらしい)と言っているようなものである。地球人60億のやったことをいちいち書いてられるか。 

自らの臀部は、自らの手で拭くべきであろう。 

彼の最後のレス。 

>まともな話ができないのなら、論議もこれまでですね。 
> 
>それでは。 
私が「(Tishidaの)経験主義を教えられた子どもが「人を殺す体験」を求めて事件を起こしたら、面白い皮肉だと思うよ。起こってくれないかなあ? 」という我ながら不徳な台詞を吐いた時は、何も言わず見逃していただろうが。 
返答に困った時だけ道徳的に厳しくなるな!教育者失格!!

 

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