こいつとは付き合いが長い。
別にすき好んで長いわけではない。『教育上、良くない。』という、彼(以後、代名詞の性別はそのハンドルが自称している性別に準ずる)が作ったいわゆる有害情報についてのトピックで出会ったのが最初であった。それ以前に私が嫌し目的で作った『クローン研究などの規制は必要ない!』というトピックにFrage_Demonなるキャラが引っかかったことがあるが、これと同一人物であるらしい。こいつも愚物であったが、しかしこれはまた別の物語、いつかまた別のときに話すことにしよう。その後は、たまたま私も関心を持ったトピックで一緒になったり、彼が私のトピックに突っかかってきたりしている。
よって、このCase file3も必然的に長文になる。だが、面白さは保証しよう。
では、私が彼を最初に見たトピック――『教育上、良くない。』から始めるとしようか。
後の発言からも確かだが、彼はいわゆるオタクが大嫌いである。 このトピック自体、オタク批判のようなことをやりたくて作ったものらしい。
しかし、残念なことに、彼のオタク批判は近親憎悪の域を出ない。
世間一般にあるオタクへの偏見は、仲間内以外とのコミュニケーションが下手で、相手の気持を汲み取る能力を持たない不快な連中というものである。もちろん実際には、オタクのうちこういう輩はごく一部である。が、こういう人間の割合が一般人より大きいことは事実のようだ。オタクの最大の交流会であるコミックマーケットでは、聞いてもいない他人に蘊蓄を語りまくる迷惑者がよくいるという。つまりこういう連中は実際には、オタク仲間にすら好かれないということだ。
Tenngutakeもご多分に漏れず、一般社会のこういった偏見を支持している。取りたてて珍しい意見でもない。問題は、Tenngutake自身がこういうごく一部の、非常によろしくないタイプのオタクと同様の性格をしているということである。
確かに彼は、アニメやゲームを嫌いであるようだ。だが彼は、一般人の偏見における典型であるが、実際には多くのオタクには嫌われている、よろしくないタイプのオタクと同様の精神傾向を持ってしまっているのだ。それは次のようなものである。
@他者の感覚の差を正確に認識する能力の不足。
A自分の趣味嗜好を理解しない外部に対して、自分の単なる感覚のズレを「優越性」と錯覚する。
B自分的なウンチクを、迷惑も省みずしゃべりたがるのでうざがられる。
うーむ……見事に満たしている……。
「じ」を「ぢ」、「馬鹿」を「莫迦(古い表記)」と書きたがるセンスなど、「ヲタク」とか「萌え」といったようなオタク用語と酷似している。ただし、そのベクトルは後述するが非常に文学者ぶっており、それにアイデンティティを感じているようだ(。大正から昭和あたりの小説家が使いそうな古い言葉や漢字(弄る=いじる、だの)を使って喜ぶという癖も備えている。
彼がこういう言葉づかいをする理由は、差別化にあると思われる。つまり、自分と他人との違いを確認したいのだ。そんなひっきりなしに個性を主張することもあるまいと思うのだが、あるトピックを機に、心理的に必要になったのだ。おそらく彼のオタク嫌いも、本来どっちが良いとかいう性質でない趣味の差を、自分の優越性として認識したいがために無理やり他人を貶めた結果と言うことができるだろう。
それでも、言っていることさえまともなら少々コトバが変でセンスが無くても構わないだろう。つまり、何の役にも立たないセンスのない言葉だけが投稿されまくるのである。気のきいたセリフ言ってるつもりの所とかめちゃめちゃ寒い。
で、こんな状態にTenngutakeを追い込んだのは、どうやらこの私らしいのだ。
『教育上、良くない。』の初期、Tenngutakeもまだ普通の喋りかたをしていた。私が反論したら、結果は無茶苦茶ながらも論理的に答えようとする意欲だけはあった。ところが、私が論理的な誤り・矛盾を突きまくり、徹底的に叩き潰してしまったので、かれは論理的な識見という分野におけるアイデンティティを失い、奇をてらった言葉づかいに終始するようになってしまったのだ。もっとも、「じ」を「ぢ」と書いたりするやりかたは当時からのものなので、アイデンティティをこういう仕方で確保する兆候は昔からあったようだ。だが、ここまでエスカレートさせてしまった責任の一端は私にある。Frage_Demonの頃から凡愚であったが、Yahoo!掲示板のレベルの低さ故にそれなりに受け容れられてはいたのだろう。
ところが、『教育上、良くない。』に私が出てきてしまった。アリアハン周辺にゾーマが現れたようなものである。この理不尽な運命により、彼の知的アイデンティティが壊されたので、彼はそれを奇妙な言葉づかいで補うしかなかったというわけだ。
凡庸以下の知的能力しか持たない個人が、このような動機で社会の批判(と称するもの)をおこなうと、ありがちな間違いにハマる。批判(?)対象を過小評価するのである。理由の一つは、複雑な分析ができないという能力的限界による。もう一つの理由は、動機に根差したものである。優れた個人であれば、人々をリアルに分析しても十分に優越感を感じることができるので問題がない。しかし凡庸な個人にとっては、対象を実際以上に低く見る以外に優越感を感じる方法がない。かくして、例えばある種の人々は、科学を評価する人々に対し「科学教」「科学万能主義」と罵声を浴びせる。私がTenngutakeにされたようにである。悪しき科学万能主義の風潮(科学の支持者は科学の絶対に間違えないと素朴に信じている、と彼らは素朴に信じている)に対して、自分たちだけは科学を相対化した高い見識を持っていると思い込むのである。このような人々は、このような人々自身が考えているよりずっと多くいる。彼らが実際(にはただの凡人だ)以上に選良意識を持っているためである。
科学批判以外の分野でも、Tenngutakeは自分の考えが選ばれた少数者の考えであると思い込みたがっている。『いつの時代も若者は』を読めば明らかであろう。「最近の若者」たちが、自分と同等かそれ以上の見識を持って動いているのだとは考えたくない。その思考法は、自分の卓越性ではなく凡庸さを証明する過程でしかないからだ。結局、心理的な競争相手である同世代に対して低い評価をしようとし、心理的に競争相手とならない旧世代を誉め、自分と同一視しようとするのである(心理学的には「自己評価維持モデル」という用語で説明される)。Tenngutakeがいわゆるオタクを嫌うのは、一つには、アニメやゲームが若い世代の文化だからであろう。
で、その文章表現だが、レスを読むかぎり、あまり見られたものではない。しかし、Tenngutakeの得意分野は小説であると言う。少なくとも、自分ではそう言っていた。リアルワールドで何があったか知らないが、彼はどうやら自分の小説によほどの自信を持っていた。愚か者の書く小説がつまらないとは限らない。そこまで言うからには余程の自信があるのだろう。TenngutakeのHPが出来たと聞いた時、私は彼の過去レスの文章のつまらなさ・センスの悪さを思い出しうんざりする気持ちを押さえ、それでも一応は期待して小説を読みに行ったのだった…………が、
つまらんにも限度があるわい!!
あまりにも退屈で、きちんと読もうと努力してもいつのまにか走り読みになってしまうのだ。いや誇張ではなく、本当にそうなるのだ。生まれて数本しか小説を書いたことのない私にさえ負けているではないか。もちろん、私に見る目が無いのかもしれない。そこで文学に詳しい友達数人にも見てもらったが、やはり、とてつもなく残念な評価が返ってきた。ちなみに小説ばかりでなく、ある人は彼のHPの「すべてが全然そそりません」と言っていた。
もちろん、面白さなどというものは趣味の問題である(と、レヴェルの低い人は得意げにしゃべってしまうだろうが、これは極めてカッコ悪い。)。しかし、統計的普通からあまりにもズレた趣味を、自覚なしに持ち続けることを普通「センスがない」と呼称する。私は常に「センスがない」をこの意味で使っている。
この評価を伝えた(残酷なことをしたものだ)ときのTenngutakeの反応は面白かった。
いわく「受けることを狙ったのではない」「そんなテーマではない」「僕の小説はネットで公開するような性質のものではない(意味不明)」「私の小説は自慰ですから」
無理が見え見えである。そんなことをいくら言っても、賞賛を期待しまくっていたかつての君の態度は消えん。恥ずかしすぎるぞ。
ちなみに今は、小説自慢は影を潜めている。
センスが無いだけでなく、やたら言葉を間違えるのも特徴である。列挙しておこう。
・パワーヴァランス
(power balanceのことらしい。私も思わず「英語ではないのでは?」と深読みしたが、ただの間違い)
・サブミナル・アタック (文脈上、サブリミナル効果のことなのだが……アタックってどこから来たんだ?)
・gloval standard (むろんglobalの間違い)
・被害者妄想 (「被害者意識」と「被害妄想」が頭の中で混合されたようだ)
この他にも、近代以降は全部近代だと思っていたり(彼は近代人らしい。ドラえもんかタイムレンジャーに連れてきてもらったのだろう)、「ヤッコさん」を二人称として使ったりと、枚挙に暇がない。ちなみに複数回使われているので誤植ではない。しかも彼の中では重要概念だったらしい。「これがキーワード!」という感じで気合いを入れて使ってくるのだ。例えば『サブミナル・アタック』については「マスコミはこれを全然問題にしませんが、大変重要な観点です。」だそうだ。大変重要なら名前くらい覚えろ。自分が先見の明を持っているかのような書き方をするのが楽しい。
ちなみに、サブミナル・アタックがマスコミで全然話題にされていないということについて、彼の見解は完全に正しい。だが、サブリミナル効果のほうは散々無駄に騒がれている。ちなみに心理学界で、サブリミナル効果が洗脳手段として実用上無効であると実証されたのは、オウム事件より遥か昔のことである。マスコミの商業主義が、サブリミナル効果の「陰謀」的イメージに着目して大袈裟に騒ぎ立てたに過ぎない。
もうひとつの特徴は、いわゆる新右翼が好きであるらしいことである。
新右翼というのは、要するに西尾幹二とか藤岡信勝とか小林よしのりとか、あのへんの人々である。海外にも「ナチスのホロコーストは無かった」等の主張を繰り広げる連中がかなりいて、歴史修正主義と呼ばれ,国によっては法律で禁止されている。たとえばドイツでは『我が闘争』は発禁書である(止めたほうがいいとおもうが……)。
新右翼はこれの日本版なのだ。私はかれらの著書の、メジャーなところを数冊だけ読んだことがある。彼らの提出する細かな「真相」と称するものがどこまで本当か判定するほどの歴史知識は私にはない。しかし、論理的な矛盾やつながりのおかしさに焦点を絞っても余りにも多いのだ。彼らの著書は、素人がちょっとだけ勉強した感じの歴史観と、浅はか極まりない哲学的思考と、好きな抽象観念のためなら人がどれだけ酷い目に遭ったかなど意に介さない道徳観のかたまりでしかない。
この勢力からどう影響を受けたのかは知らないが、Tenngutakeの歴史観も、常識と理性をすっとばしたなかなか愉快なしろものである。いわく、
・ 日本に法治主義は馴染まない。(お前は「中国には皇帝が必要だ」と言ってた近代の中国人か)
・ 法治主義は限界を含んでいる。秦が短期間に滅んだのはそのせいだ。(じゃあ王莽が創立した新は?)
・ 旧日本軍は洗脳をしていなかった。なぜなら洗脳とは家庭を攻撃するものだからである(なんだそりゃ)。
・ マルクス主義が進歩史観を生んだ(えらく短い進歩史観史だな)。
・ 天皇制をなくしたら日本は滅びる。(突っ込んだら「天皇制をやめたら日本は日本で無くなる」に変えた。どっちにしてもなあ……)
・ 歴史の連続性を断つことはファシズムを産む。ヒトラーやレーニンやポルポトがその証拠である。
そしてもちろん
・ 太平洋戦争は自衛戦争であった。
・ 南京虐殺は無かった。
等々。なんか、間違っているとかそういう以前に支離滅裂だが、
ファシズム云々など超初歩の論理的誤謬を犯していて面白い。
ファシズムやナチズムは、自分たちの民族の歴史をむしろ強調していたという史実がある。しかし、ここは寛大になって、彼の言う「歴史の連続性を断つ」ということはそれ以外の細かな改変にあるのだ、ということにしてあげよう。それ以前の問題なのだ。ファシズムやナチズムを打ち倒した勢力は、その圧政時代の「歴史の連続性」を破壊しているではないか。確かに、ファシズムだのナチズムだのが台頭する時期には、なんらかの形で旧社会を変えていることは間違いない。だが、それは単に「ファシズムが支配するようになる前の時代はファシズムが支配してなかった」というだけの話ではないのか?
変化を目指す勢力がそれまでの風潮をどこかで変えようとするのは、圧政や粛正を行なう側であろうと、それを打ち倒す側であろうと一緒なのだ。Tenngutakeの主張は「トラ・ライオン・チーターには心臓がある。だから肉食の原因は心臓なのだ!」と主張するようなものだ。これは『トンデモ・レスの世界』というトピックを起ち上げて説明してあげた(『衆愚の花園』の前身のようなものである。荒れたなあ…)。もちろん怒りのカキコが本人より投稿されたのは言うまでもない。High_Clearが通俗心理学(それも妙にマイナーな。なんでも、自尊心とは他人を幸福にするものらしい)に基づき私の心理分析をしていたが、それにさえ全面賛同するほどのTennngutakeの余裕の無さであった。
Tenngutakeの「洗脳」論もなかなか笑えた。
「洗脳とは家庭を攻撃する(家庭から引き離すという意味らしい)過程を持つものであり、そうでないものは洗脳ではない」
のだそうだ。はっきり言ってわけがわからないが、真面目に主張していた。より厳密に言うと、彼の頭の中で「でなければ洗脳ではない」と「でなければ洗脳できない」が混在しているようだ。
ある時には、「そうしなければ洗脳はできない」と主張し、ある時(主に前者が論破された時)には「でなければ洗脳ではない」と唱えるのである。
私や、別の参加者は当然 、なんでその必要があるのかということを問いただした。無論、何一つ論理的回答が得られなかった。意味不明の言葉が返ってきたのみである。なかでも、次の主張には特に笑った。
「でなければ、オウムはあんな大金を出してサティアンを作る必要はなかった。オウム高校を造れば事足りたのです。」
高校ってサティアンより安いのか?
問題は「洗脳」をそう定義する必要がなぜあるのか、ということであって、彼の好きな定義が何かということではないのだが、このシンプルな問題を理解していないのである。天文学の講座を聞いていた青年が「科学者は星の名前をどうやって知ったんだろう?」と悩んだ、という笑い話がある。それと完全に同じレヴェルなのだ。
そしてどう読んでも、旧日本軍の擁護以上のメリットを見出すことはできない。この定義がどこから出てきたものかは知らないが、当人の思いつきでないのなら、どうせ新右翼関係の本に書いてあったか何かだろう。
Tenngutakeは右翼呼ばわりされるのがかなり嫌いのようだが、これが右翼でなかったら誰が右翼なのだろう?
別に右翼なら右翼でいいと思うのだが。なんでこんなに拒否するのだろう。
そして「洗脳」について、彼はもう一つの妄想を持っている。それは、「カルト教団などによるインターネット上での洗脳の危険」という、かなり通俗SFチックなものだ。これは先の妄想に基づき、ネットで独身者を募って洗脳することを指しているのだろうか?
いや、そうではない。なんと、被洗脳者が家族と同居していても、ネットを使えば洗脳できるらしいのだ!
これは先の妄想と矛盾している。先の妄想によれば、相手を家庭から引き離さなければならないのが洗脳である。だったら、ネットを介した洗脳ならともかく、ネット上で洗脳などできるはずがない。同一人物が抱いている二つの妄想が、相互に矛盾しているのだ。
この妄想は、たぶんサイバースペースや擬似空間などの用語から、人間が家庭からその「空間」に連れ去られていくというような連想を経て生まれたのだろう。だが、サイバースペースだの擬似空間だのは所詮、比喩なのである。情報の受け手に与えられるものは、文字や映像や音声による刺激であり、そんなものは現実世界でいくらでも活用できるのだ。そんな比喩が成立するのなら、今まで彼が言っていた「家庭から引き離すかどうか」という区別そのものが存在しなくなってしまう。もちろん実際には、カルト宗教だろうと誰だろうと、ネットで宣伝をすることは可能である。が、別にネットだから特別というわけでもない。家のポストで宗教団体の宣伝ビラを見かけるように、ネットでも見かけることがあるというだけの話だ。
で、この『教育上、良くない。』の結末だが、High_ClearやTenngutakeを含む、私に反感を持つ連中が集まったアンティ・ヒトシンカ連合軍による私の無視と、それに伴う討論能力保持者の喪失(要するに、私しかいなかったわけだ)によって自然消滅という結果で幕を閉じた。
この件についてはCase file2に詳しい。
……消えたトピのことばかり言うのも何なので、唯一残っている『子供にAVも暴力映画も見せるべき』を題材にしてこのファイルを終えよう。できればトピックに飛んでもらいたい。きっと、この面白さをリアルに感じてもらえるはずだ。ここでは、どうやらトピックの指導的立場に立ちたいという熱情に突き動かされているらしく、「人の上に立つ願望」丸見えのレスが連続していて面白い。
力不足やっちゅーねん。
例えば、「ここは教育のカテゴリですよ」とか言って推奨していることが無茶苦茶である。
「教育政策を論じるから、教育以外の分野に対する影響は無視する」という方向なのである。おいそれは違うぞ!もっとも、マンガの謎本でも書くのなら、これはこれで面白い発想である。が、このルールは「教育現場での問題(:全般がカテゴリの正式名称)」を真面目に論じるには向いていないことは明らかであろう。教育政策が、他の分野への影響をまるで無視することなど現実には出来ない相談だからだ。
全員に無視されていた。
>レイプはダメ、殺人はとにかくダメ、やったらあかん――、
>問答無用、理屈抜きで伝わらないと、最早「教育」ではない
>のですよ。それを「何故?」と問い出す子供がいたら、教育
>は失敗。教育の【機能不全】です。
>臆面もなく「誰だってレイプしたくない?」なんて云えるこ
>と自体が、【機能不全】なのです。
>(僕は教育の道徳論を語っておるのではなくして、社会学的
>な、クールな教育を語っているのである)
クールじゃねえ!むしろフールな教育論である。
「社会学的な、クールな教育論」に、教育とは何のためにあるのかなどという話が出てくるはずがない。
>僕が○○はAだと云ったのに対して、お前はAだ、などという
>半電波な反論をして、反論した気になっているだけでしょうに。
だそうである。
そうじゃなくてね、Tenngutake君。君が言っているのは「AはBだ。だからAをやめてCに行け」ということ。そして私が言ったのは「CもBだよ」ということ。結局のところBが保存されるのであれば、Aをやめる必要が無くなってしまう。
この理屈は彼には難解であったようだ。
>「子供を過度に自由に曝すよりも、一定の束縛の中で育てた方が
>教育的効果は高い」との主張、どこにBがある、Bはどれ?
ポルノの解禁が「過度」であり、現状の束縛が「適度」であるというファンタジー色あふれる夢いっぱいの前提がBだ。
そして彼の自尊心は、表現の規制と自由化の両方を拒否させる。このとき彼の中で、彼の自画像は規制派と自由化派という二人の子どもの喧嘩を仲裁する、まるで保護者のように描かれていることだろう。
>で、個人的にこのふたつ(規制と自由化)の対立意見を鑑みるに、身も蓋もない話
>だが、個人的な特性によってどちらにでも転ぶ可能性がある、と
>云うのが僕の見解。
>となれば、 規制の強化も自由化も、どちらも同様に危険性を含ん
>でいると云うことになるわけです。
>と云うわけで、現状維持が好ましい。
これも「両者の上に立ちたい」という願望が見え隠れしている。個人的な特性によってどちらにでも転ぶ可能性があるのは当たり前である。どっちに転ぶ奴が多いかというのが問題なのだ。現状が最小だという理由でもあるのだろうか?これを問うと、「何が適度かなんてそう簡単に言えるはずが無い」のだそうだ。
>現状維持説とは何か?
>一応、説明しなければいけないので、説明しておくと、
>ここで僕が言う《現状》というのは、「たったひとつの状態」
>を指すのではありません。
>つまり、《現状》もまた常に流動的であると言うこと。
>例えば「表現の規制」については、一昔前の「チャタレイ事
>件」等がありましたが、今現在、「チャタレイ」程度の書物
>が発禁になるようなことはありませんよね?
>つまり、その境界線は常に「流動的に変動する」のです。
>
>「規制強化論者」「自由化論者」との一番の違いは、「たった
>ひとつの状態に社会を停滞させる」ような思考法を僕が採らぬ
>ことであります。
いかにも「僕は画期的なことを言ってるんだ」って口調なのがむちゃくちゃ笑える。
ただの先まかせだ。
「現状維持」という言葉に、誰も使っていない定義(元々の意味が全く残ってないし…・)を断りなしに書き加えるのは、良しとしよう。しかし、自由化と規制強化を拒否して現状維持に拘泥するのは、自由化・規制強化が青少年に悪い影響を及ぼす可能性を心配してのことだったはずだ。「現状」がやたらと揺れ動いてかまわないのであれば、結局のところ青少年への影響は同じことではないか。
それを気にしないと言うなら、自由化だろうと規制強化だろうと「危険性」を掲げて否定するわけにはいかなくなってしまう。そもそも、トピックでの規制派や自由化派の意見は、境界線が「流動的に変動する」過程ということになるではないか。ということは「現状維持」説はいずれの書き込みも許容するはずである。「現状維持」論者であるはずのTenngutakeが両者を批判するのには、どのような心理的理由があるのだろうか?
弁護の余地はないだろう。「僕が言う《現状》」のこの定義は後づけである。つっこまれて通常の定義では対処できなくなったので、定義を変えてきたのだ(下手をすると無意識のうちに)。相対化するのは良いが、過去の自分の論拠まで気づかず一緒に相対化してしまうのは、論争においてきわめてまずい。
現状維持の他に「分別」という提案もTenngutakeによってなされた。この案は要するに、エロ本をポルノショップだけで売るとか、18禁シールを貼るとかしろということらしい。自分が言った規制の問題点を何もクリアしていない。適度な規制の基準は不可能だが、適度な分別の基準は可能だとでも?
その基準とは異なった価値観を持つ親はどうなるのだろう? それらの親は自力で区別してくれと言うなら、全ての親に自力で区別させても構わない理屈ではないか?大体、そういうシールを必要とするということは、どんなメディアが望ましくないかを判断する基準を持っていないという事ではないのか?
その基準がシールによって初めて発生するとするなら、なんのことはない。親はシールで選んでいるのではなく、シールで脅されているのである。要するにそんな親は見識を持たない、この分野においてはただの知的無能力者なのだ。
で、それに対する反応。
>仮に親が無能力であったとしても、「権利」は能力が
>云々以前に存在するものであり
やめろ。どこへ出しても恥ずかしい。
お前が主観はダメ言うとったやろが。
こんな調子である。この姿勢に、議論に対するTenngutakeの不誠実さが表れている。ある点において自分が論破されると、かつては認識していたはずの問題の重要性を忘れさろうとするのである。そして、論破された問題から逃げることによって威勢を取り戻し、威勢以外の何ものも取り戻さず、無内容で混乱した筋の通らない矛盾だらけの書き込みを延々と続けるのである。
また、私が現在の日本では自由化の動きが逆転していると言う説を語ると、
>今なんか下の毛写真ぢゃ誰も昂奮しないが、数年前は、下の毛写
>真を撮影、販売した加納典明が警察に引っ張られましたね。
>客観的事実の相対的比較から導き出される結論は、「表現は徐々
>に自由化の方向に向かっている」のである。
なんか少ない客観的事実ではあるが、まあ良かろう。言葉のセンスの無さも問わないことにしよう。では、それに淫行条例の類や、児童ポルノ法の成立や、7年間全年齢に売られていた『完全自殺マニュアル』が18禁になったことは、客観的事実に含まれないのだろうか?
> 《それに対して、「自由化に関する一定のガイドライン」を示そ
>うという動きが、君の霊能力色眼鏡には「逆転」と見えるのであ
>る》と書いたはずである。
>自由の中ですくすく育った犬の分際で、細かい部分を指摘して、
>「ほら、束縛されてるでしょ? ボクちゃん」って、ガキかよ。
>物事の大筋と枝葉末節の違いさえわからぬのかよ。
>もう一度言いますが、日本は諸外国に比べて明らかに表現の自
>由が過度に保護されている国である(そして、僕はそのことに
>何の不都合も感じてはいません)。
何で諸外国が出てくるんだ? ここで私が言ったのは、日本の大勢がかつての自由化から規制好きへとシフトしたという説であって、外国に比べてどうこうとは一切言っていないのだ。いつものことながら、反論にも何にもなっていない。
「自由化に関する一定のガイドライン」って、呼び方変えただけだろーが。この分野では、女性の裸の表現がそれほどまでに「大筋」なのだろうか?いや、それはそれで大事なことだと思うんだよ。私だって、質的にはともかく量的には健全な性欲を持った男子だから、性表現の重要さは分かっているつもりだ。でもそれだけが大筋で、他のことは枝葉末節――という解釈は、どこから出てきたのか知らないけど、少しばかり偏り過ぎであるとは思わないだろうか、Tenngutake君?
そして、これである。
>僕の論を正確に読みますと、情報をカットし子供に適度な抑
>圧を与えること自体に意味があるのだと
何が適度かなんてそう簡単に言えるはずないんじゃなかったのか?
言っちゃってるよ。 どうすんの。そういえば小林よしのりがそんなこと言っていたな。
しかも、この理屈がおかしすぎる。子どもに抑圧を与える方法なら、他にいくらでもあるはずであり、特にAVや暴力映画を禁止することによってそれをやる必然性がまったく欠けている。「電車の中で騒いじゃいけません」みたいなのでいいではないか。従って、そんなことを情報の分別とやらの正当性の根拠にできるはずもない。「ついでですが、こんなメリットもありますよ」というなら分かるが、せいぜいその程度のものでしかないのだ。
最後には……『教育上、良くない。』と同じ結末、つまり無視→無能→終焉。私のツッコミを無視しきれるはずもなかった(Case
file2参照)。そして、たまたま同時に追い込まれたTishidaという人物が「平行線になるからもう終わりにしよう」と言ったのに飛びついた。彼にとっては最高のラッキーであっただろう。
いつか来た道である。 |